mizunowa48
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1 着任当事の研修部私が尼崎市から日本下水道事業団試験研修本部研修部(現研修センターの前身)に着任したのは、昭和50年8月1日です。折りしも下水道事業センターから日本下水道事業団に改組され、研修本館ができ、研修部も寺小屋時代から脱皮した年でした。当時は、教材も少なく厚生棟や談話室、浴室もない、しかも試験部と同居など、研修生の受け入れ環境としては現況とは格段の差がありました。職員は事務員、演習の先生1名以外、全て派遣職員で構成され、研修部長初め、コース担当8名の内5名が東京都から出向されているなど、東京都が研修部の基盤となっていました。関西からは私が第一号でした。着任早々貴方の専門は何ですかと訪ねられ、何でもやらざるを得なかった地方出身の私には、一瞬戸惑を感じながら管渠ですと返答したことを覚えています。当時は、全国の下水道普及率も21%と低く、これから下水道事業に着手するという都市が多い時代で、下水道技術者も先進都市に集中し、地方都市、特に町村では、技術者不足の傾向が顕著で、研修部に対する期待も非常に大きいものがありました。それゆえに、日本の下水道技術者を育む研修業務には、やりがい、夢とロマンを感じました。研修では、「研修後のケアを大事にすると共に研修生間の交流を深めることによって波及的に技術力の向上を図る」いわゆる『みずのわ精神』に重点を置いていました。2 在職期間の3年間最初の教授会でテキストの充実を図ることになり、各先生方に分担されました。テキストを書いたことのない私には、精神的負担を感じながら、「やる気になれば出来る」と自分に言い聞かせて悪戦苦闘の末、責任を果たしました。このことは私にとって今日の糧となった大変貴重な体験でした。在任の間に、管渠コースを主体に、14のコース(研修生332人)を担当しました。技術職員がいないため、技術職を担っている方や管理職として責任のある立場の方など、やる気のある責任感の強い前向きの研修生が多かったです。中には、日常業務の諸課題を持ち込んでいる研修生もいました。「みずのわ精神」の基に、研修生の期待に答えるべく、夜遅くまで研修生の部屋回りをして(時にはアルコールと言う潤滑油を注ぎながら)、受講生とざっくばらんに語らい、泥臭く意見交換をしたものです。研修終了時にはテストを行って採点し、マル優の表示をして上司に送るのですが、この配慮で色々と苦労したこと、研修生の集まりが悪い出身県を対象に、電話戦術で研修生の一本釣りをしたこと、事業認可の下見で建設省公共下水道課に同行したこと、研修生の皆さんと西川口での飲ミュニケイションで、支払い不足となり私の名刺で処理をしたことなどが思い出されます。また、研修終了者からは現場の生の声として、「推進工法でガソリンスタンドの前に来たら、ガソリン臭の濃度が高まっている」続行するべきか否か、「管きょ施工区間で腐食土が発生した」如何なる工法で対処したらよいか教えて欲しいなどの相談も寄せられ、その都度、真剣に具体的な対処策を検討し提示したものです。(4)研修みずのわ第48号研修教員としての思い出と研修を受講される方へのメッセージ元尼崎市下水道部長渡邉 克宏(元 研修部助教授)教員OBのこえ

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