mizunowa48
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本寄稿についての打診は、平成26年9月の「宮山会」(山形県西川町志津温泉にて)の宴席にて、会代表の事業団研修センターの渡邊良彦先生から頂戴したしだいです。私自身、事業団研修の受講より14年ほど、また下水道事業から離れて7年ほど経過しており、大変怒られる話ですが、「研修みずのわ」を「熟読?」させていただいたのは、今回がほぼ初めて、というのが正直なところでした(すみませんでした)。貴誌にはこれまで、宮山会の諸先輩が多数寄稿しており、読者の皆様には、会の生い立ち、並びに方々の逸話等々が、多少なりとも伝わっているのではないかと、勝手ながら考えております。さて、その「宮山会つながり」を紹介させていただきます。現在私は、会の山形側連絡係を仰せつかっておりますが、元々は会の歴史の半分にも満たない新参者でして、当初は、会の生い立ち、あるいは渡邊先生が山形出身であることさえ知らずに(だれからも教えられずに)、何だかわからないまま参加し始めました。最初は、都合がつくところで参加していたのが、いつのまにか気がつけば・・・。今思い出せば、①14年ほど前、浄化センター勤務時に事業団研修を受講することになり、当時の上司の山本所長から、「渡邊先生に挨拶してくるように」と指導を受ける。②事業団研修時に、渡邊先生、事業団の青木様、方々からごちそうになる。③山本所長から「会に参加してみないか」と指導を受け、以降は時折参加していた。④山形側の企画・連絡等を行っていた先輩方(山本様、米沢の石山様)に自らお願いし、連絡係を承継させていただく。⑤東日本大震災後、岩手県の長沼様のご尽力により花巻で開催。会の翌日、震災で亡くなられた陸前高田の吉田様宅を弔問。⑥平成24年に初めての任務(私の居住地の天童にて開催)。以上のような私なりの経緯たどりながら、皆勤で参加させていただいている昨今です。諸先輩の築かれた長い歴史、また私のような短い経緯もありながら、一方、会の高齢化は着実に進んでおりました。そのような状況のなか、渡邊先生のカリスマにより、昨年度からは松島町より、今年度は須賀川市より(職場の行事よりも宮山会を優先され)、新たな参加をいただきました。加えて、郡山市・須賀川市からは多数の参加希望もあり、関東(ほか多数地域)、宮城、山形のこれまでの三極に、次年度以降は、福島という新たな「わ」が広がろうとしております。事業団研修からスタートした「つながり」を大切にするとともに、最後ではありますが、下水道事業団、並びに皆様の「わ」の発展をご祈念申し上げ、結びとさせていただきます。第48号研修みずのわ(7)「宮山会」と私のつながり、そして新たな「わ」山形市環境部廃棄物施設課施設整備係長阿部 真二同窓会ニュース(平成26年9月 宮山会会合時のスナップ)

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