mizunowa49
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下水道事業を取り巻く状況は、私が入庁した昭和50年代と比べ、変ってきており、施設の維持管理、改築、効率的な事業経営などさまざまな課題が増え、「みずのわ」の読者の方々もご苦労されていることと思います。良い仕事をしていくためにもライフワークバランスをもち、時には仲間とよき昔を思い出したり、小旅行でリフレッシュすることも必要です。少しでも気分転換に役立てていただければと思い、長年お付き合いのある渡邊先生から依頼を受け寄稿させていただきました。初めに廿日市市の紹介をさせていただきます。廿日市市は、広島市の西隣にあり広島市のベッドタウンとして人口が増加し、私が入庁した昭和57年当時は3万人そこそこだった人口も昭和63年には5万人を超え、市制に移行しました。現在は、世界遺産の厳島神社がある宮島町を初め、佐伯町、吉和村、大野町の4町村と合併し、人口は11万を超え5つの処理区と処理場を有し、更なる管渠整備と施設の維持管理が課題となっています。私が入庁した当時は、人口の増加とともに市街化が進む中で、公共下水道の整備が急務となっており、昭和58年には、下水道課が新設され下水道課に配属後、14年間下水道に携わってきました。日本下水道事業団の研修に参加したのは、廿日市市が公共下水道に事業着手が決定した時期に管きょⅠと、処理場の着工時期に処理場設計のコースでお世話になりました。昭和58年に初めて参加した管きょⅠの初級者のコースでは、全国から同じ目的を持って集った多くの仲間に会えたことが、新鮮だったことを思い出します。また、一番印象に残っているのは、寮室には床がスプリングでできた二段ベッドが2つ配置してある4人部屋だったことです。研修で処理場の視察で日光に行ったことや寮室で夜遅くまで、お互いの自治体の状況などについて話をしたことが懐かしく思い出されます。数人ではありますが、今でも当時一緒に研修を受けた仲間との年賀状のやり取りや、下水道に関する情報や資料交換をしております。今回は、渡邊先生を始めとした(元)教授、副市長、部長、課長経験者の方々が広島に来られることとなりました。聞けば、当市の先輩も当初から参加しており、また、私も数年前から渡邊先生のお世話で研修のお手伝いをさせていただいているご縁もあって、世界遺産の「宮島」と灘、伏見と並び称される酒蔵の町「西条」巡りに同行させていただきました。初日の宮島ではガイドさんから隠れた場所や知られていないシャモジの言い伝えなどの歴史の勉強をしました。そして、厳島神社などを散策したのち名物のアナゴ飯を堪能しましたが、お店のご主人が、(元)宮島町の下水道課長、町議会議員を歴任されており、また事業団の受講生だった旨伺い、戸田での思い出話に花が咲きました。(偶然の出会いでした。)宮島の公共下水道は、普及率が99%とほぼ完了しており、また、宮島水質管理センターは景観を考慮して神社をイメージした建築物となっており、完成当時は、話題になった処理場です。夜の部では、事業団研修の受講生でもある廿日市市の原田副市長、川本部長にも出席していただき、下水道談義に花を咲かせながら広島の夜を楽しみました。二日目は、広島からJRで30分ほどかけて東広島市の西条駅に移動しました。西条では、渡邊先生と交流のある東広島市下水道建設課の樋口さん(現・広島市に勤務)に「酒蔵通り」を案内していただきました。「酒蔵通り」は、西条駅前に隣接しており、安部総理とオバマ大統領第49号研修みずのわ(13)広島「水サミット」に参加して廿日市市環境産業部 次長瀧本 利彦

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