mizunowa49
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忘れもしない未曾有の出来事「東日本大震災」から、今年の3月11日で5年が経とうとしています。私事ですが、その3月31日に災害対策本部が設置されるなか、佐野市役所を何ともいえない気持ちのまま定年退職いたしました。私と下水道との出会いですが、昭和50年4月市職員として採用時から、そのまま14年間ずっと下水道課勤務でした。(少し長すぎたかな?)げすいどうの「げ」も解らないまま、いつしか、現場踏査、平板、路線及び水準測量や設計・積算・監督業務などを夢中で担当していました。先輩から、いろいろ指導を受け、開削、推進、処理場増設や事業計画変更など多種多様な業務を担当させていただきました。昭和50年当初、栃木県南部の自治体で盛んに下水道事業が進むなか、県や近隣自治体の担当者間で親睦会をつくり、時には真剣に情報交換を行って来ました。今でもその仲間の皆さんとの交流は延々と続いていて、今の私にとって大切な宝物です。その間、昭和57年度に「工事監督管理コース(39名)」を受講しました。駆け出しで無我夢中の私にとって、まさに貴重な追い風となる研修でした。今でも、十数人の研修仲間と年賀状での交流をするほか、近くに出掛ける折には、アポイントを取って久々の再会を果たし、お互いの近況報告を「つまみ」に一献酌み交わしています。話は、前に戻りますが、平成になりようやく異動できたものの、古巣の下水道課にはなかなか戻れませんでした。とは言え、昭和50年代初めの渡邊先生との出会いは、後に私にとって事業団との深いつながりを持つことになりました。昭和59年ごろから事業計画変更や処理場増設を事業団に委託した際に、くしくも渡邊先生が佐野担当になったのも、今になって思うと何かのご縁があったものと思います。平成20年にはようやく古巣の下水道課に復帰しました。その間、「関東みずのわ会」や「宮山会」など渡邊先生から度々お声かけをいただきましたが、なかなか参加することが叶いませんでした。しかし、下水道課に異動するころ、渡邊先生から「事業団講師に?」との要請があり、一抹の不安はありましたがお引き受けをしました。自分の歩んで来た経験、浅学な知識が少しでもお役に立てれば、さらには、自分自身の向上心のきっかけになればと思い決心しました。今まで、不義理をしてきた「関東みずのわ会」や「宮山会」(昨年から福島県が加わり「宮山福会」)は、今では常連となり毎年楽しみに参加しています。また、平成24年から、京都祇園仲間で第1回「佐野水サミット」が新たに始まるなど年々その輪が広がり、人と人との絆がより一層深まっています。全国からの研修生との触れ合いは、私にとって大きなインパクトがあり、毎回、研修所に行くのがとても楽しみです。若い職員との触れ合いを通して、真剣な眼差しを目の前にし、私も心底から背筋が伸びる思いです。研修生の皆さんには、各自治体の実情を十二分に把握(人マネはダメ)し、下水道マンとしてしっかり精進して欲しいと願うものです。また、技術オンリーにならないよう、常にアンテナを高くして欲しいとの思いから、最近の下水道関連の新聞記事を切り抜き「参考資料」として研修生の皆さんに提供させていただいています。ぜひとも精読していただければと思います。昨今の下水道事業全体の動向や業界の技術開発など出来る限り多く情報収集して欲しいものです。研修生の皆さんには、仲間とのネットワークを最大限活用するとともに、困った時は遠慮することなく研修センターに相談するなど事業団をフル活用して欲しいと思います。(22)研修みずのわ第49号事業団研修センター講師を通して元 佐野市片柳 栄講師OB

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