mizunowa50
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○細川所長 本日はお忙しいところお時間をおとりいただきありがとうございます。市長さんは30年以上前にJSの研修へ参加されたそうですが、本日は研修にまつわる思い出などをお話いただければと思いますので、よろしくお願いします。○澤井市長 こちらこそよろしくお願いします。JSの研修は私にとって大切な思い出であり、かけがえのない仲間ができた場でした。今日、インタビューがあるということで昔の写真をお持ちしました。これが当時のメンバーです。先生は、東京都から出向された外との崎さきさんでした。これを機に「外との崎さき会かい」という会を結成して、今も同窓会を続けております。○澤井市長 (写真帳を開いて)これが当時の部屋の写真です。○細川所長 まだ2段ベッドの時代ですね。○澤井市長 そうです。こういう仲間で、特に夜は様々な意見交換をして、寝食を共にして本当に仲良くなりました。当時の研修施設は今も使われているのですか?○細川所長 (研修施設紹介のパンフレットを開いて)これが今の研修施設です。管理本館など昭和の時代から使っているものもあれば平成に入って新たに建てたものもあります。○澤井市長 こんなにきれいになり、実習棟もできたのですね。○細川所長 JSの研修の特長であり強みは実習や演習に重きを置いていることです。○澤井市長 この写真は、コンクリートの圧縮試験です。(パンフレットをめくりながら)当時、水質実習は、プレハブの建屋でやっていた記憶があります。女性の方も多く参加されているのですか?○細川所長 最近は増えていますね。多いものでは15%くらい女性というコースもあります。次にJS研修でできた楽しい仲間との同窓会である外崎会についてお聞かせください。○澤井市長 私の受けた研修の参加者にはいわゆる「つわもの」が多かった気がします。同窓会も、ある時「よし、みんなで同窓会をつくろう」ということになり始まりました。毎回、幹事を持ち回りで決めて、全国各地で開催してきました。「みずのわ」にも十数回目まで、同窓会の報告を載せていました。仕事の都合等で参加できなかった幹事さんには、「来年、この辺りにいくから」と伝えたりしておりました。○細川所長 すごいですね、30年以上も続いているのですね。○澤井市長 14回目の時でしたか、神奈川県の相模原市で開催した際、仲間が記念にテレホンカードを作ってくれたこともありました。(写真を懐かしそうに眺めながら)局長、消防総監、課長、皆さんその後、偉くなられて、親族の会社を継いだ方、物書きになった方・・・古代蓮の種を育てて開花させて、命名した方もいます。「印南蓮」で検索するとその方が出てきます。○細川所長 まさに多士済々ですね。○澤井市長 残念ながら亡くなった方もいらっしゃいます。そういえば、研修期間中に初めてのお子さんが生まれた北海道の方もいました。当然、ご本人は帰りたいと申し入れたのですが、先生は帰らせてくれない。そこで皆で「帰っちゃえ」「下水道だから名前は道子にしろ」などと勝手なことを言っておりました。○細川所長 お話は尽きませんが、研修から少しはなれて、市長さんの下水道に関する思い出をお聞かせください。○澤井市長 忙しくて下水道にどっぷり浸かっておりました。昭和50年代、整備をどんどん進めろという時代で、入所して初めから残業続きで、朝3時ごろまで仕事した後、先輩に送ってもらい、家に帰って、風呂に入って、うとうととすると、もう出かける時間になっていました。当時、冷房などありませんでしたから、暑い時期は、バケツに足を入れて図面を描いてました。昔は標準図などなかったので、皆でセクションごとに立坑の計算をしたり、鏡切りの計算をしたり、そういうことをやっておりました。代価表から分厚い設計書も作っていました。また、一定金額以上の工事は、必ず議会にかけるため、すい進工事を発注しようとすると必ず議会の議決を経るので大変でした。○細川所長 殆ど直営だったんですね。○澤井市長 そうです。皆「土木屋」ですから、委託して、受託者へいろいろと説明するよりも自分たちでやった方が早い。計算もタイガー計算機を使ってました。電卓なんて高くて買えない。青焼きも、図面を焼くのはアンモニアを皿の上に乗せて、温度板の上に乗せて、それでアンモニア(3)研修みずのわ第50号特別インタビュー澤井敏和あきる野市長インタビュー(聞き手:細川研修センター所長)

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