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じぇじぇじぇな「輪」 宮城県利府町地域整備課長 村田 政文 この一年を振り返るなら、アベノミクスで始まり特定保護法の制定で終わった一年だと言うことができるだろうか。まさに「安部カラー」に染められた一年だったのではないか。 そんな新聞記事に目がいっていると、突然、渡邊先生からお電話があり「みずのわ」の原稿依頼。快諾には遠い状況を打破され、原稿作成となったのであります。 宮城県利府町は「日本三景松島」の松島湾内に二つの漁港を有し、あの3・11東日本大震災において津波被害を受け、現在、震災復旧復興の途上にある町でもあります。また、町制施行が昭和42年、当時の人ロが約8千人。平成25年11月末で約3万6千人に人口が増加中であります。また、町内には、 4箇所の高速道路インターチェンジがあり、地域物流の大きな役割を果たしているところであります。 私が下水道事業団研修に参加したのが昭和56年秋の管渠設計Ⅰの受講が始まりとなります。当時は、将来の下水道を担うエキスパートとして全国各地から多くの自治体職員が戸田市下笹目に集い、実習・演習に力をおき、夜間においても、おらが町の自慢話に花が咲き連日連夜の酒宴研修となり、訛る東北弁を理解してもらうまで苦労したことを研修の想い出として記憶しております。 そんな日本下水道事業団研修生OB有志による交流会が、宮城・山形両県の自治体関係者等で設立しております。その名は研修みずのわでも知名度のある「宮山会」であります。宮山会は、平成4年、山形・宮城両県の「下水道技術者の意見交換の場の創設」をテーマに掲げ始まったものと伺っております。 現在では、岩手県・福島県・関東・九州地方の方々も名簿に名を連ねており、全国規摸の交流会組織となっております。この宮山会を下支え役として活躍してこられましたのが宮城県七ヶ浜町OBの若木氏、山形市元建設部長の安達氏であります。このお二方の存在は大きく両名なくして「宮山会」の存続は、なかったのではないかと思います。そしてこの両名のパイプ役として浮上してくるのが笑顔の素敵な紳士こと渡邊良彦先生であります。この3名のネットワークが大いなる役割を果たし続け、平成25年10月に宮城蔵王遠刈田温泉を会場に第20回目となる記念すべき「宮山会」が賑々しく開催されたのでありました。宴会は多いに盛り上がり、宮城蔵王山麓に「宮山会」の名を轟かさんばかりの盛況でありました。あらためて人の「輪」を強く感じた交流会となったのであります。 最後になりますが、日本下水道事業団研修センターの隆盛と研修生皆様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 (昭56『管きょ設計Ⅰ』ほか受講) 第20回宮山会集合写真(後列右から2人目が村田様) (6)研修みずのわ第47号じぇじぇじぇな「輪」宮城県利府町地域整備課長村田 政文

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