mizunowa50
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この度は、研修会報「みずのわ」が50回目の発刊を迎えられる記念すべき年に研修受講生が7万人達成され誠におめでとうございます。遠い過去となってしまった昭和50年小平市の建設大学校(都市計画)の研修を経てから20年後の平成7年5月に、当研修所の門を潜りました。異動で来たばかりの私が受講したのは実施設計コース管きょⅡ専攻(43名)北澤正彦助教授のコースでした。この時期、現在の総合実習棟が完成まぢかで3週間大変な騒音の中での研修が始まりました。研修生の自己紹介に始まりお国自慢や故郷の土産話、下水道よもやま話が続出、ネタがつきません。しかし、私はまったくの素人、専門用語の知識もない中不安な講義で専攻を誤ったかと自問自答の毎日でした。そんな折、同室7人の研修生と先生(北澤先生、酒井教授)の混合チームとなってソフトボール大会に臨み見事に優勝。休日は東京見物に繰り出し霞ヶ関ビルのエレベーターに驚き秋葉原での無線機の瀑買いなどいつも7人一緒でした。推進工法の設計は、皆が手伝い設計書が出来た時は、嬉しかった事を思い出します。当時は、研修結果が報告されていたので部屋に戻ると全員予習・復習と深夜まで起きていたのを覚えています。その成果が効果テストでした。なんと7人満点でした。(この頃異例)楽しくなってきたころには、瞬く間に修了式となってしまいました。一緒に過ごした仲間との別れが寂しくいつの間にか東京駅にいました。帰ろうなんて誰も言い出さなかったことが思い出されます。さて、ここで講師依頼のいきさつを述べますと、18年前上司が講師として上京した際、カバン持ちとして同行その夜の宴席で初めて渡邊先生にお会いしました。当時は、物静かな笑顔の優しい人だったと覚えています。(今は、?)その次の年、木下教授から研修テキスト「工事施工と住民対応」の作成依頼がありまして平成13年4月に初版、平成16年8月に改訂版をこの間校正で渡邊先生より指導を受け発刊の運びとなりました。あの時は、ありがとうございました。その後、毎年講師依頼を頂き今日に至っていますが、最初の講師依頼の内容は、下水道には、なじまないものでした。この時代は、国が下水道事業を積極的に進めた頃でした。3K(汚い・危険・きつい)といった社会現象が建設業に携わる人材を減らし職場環境の悪化をもたらした。職員1人当たりの仕事量が大変多く下水道事業でも残業が普通でありそんな職場では、ストレスが原因で起きる心の病(鬱病)が蔓延し全国の自治体では危機感を募らせ人事管理を始めた矢先であるそんな中での講師依頼だったと思います。しかし自分は、医師や精神科医でもないのに簡単に受けてしまい日が経つにつれ事の重大さを知りました。当時、A市でも当然研修が有りすぐに受講、すがる思いで講師の先生に相談しました。その方は、私の立場を理解して頂き、ご自分の資料も無料で貸してもらいまして、その後何度も指導を受けて初めて「職場のメンタルヘルス」の講師として教壇に立つことが出来ました。勿論渡ソフトボール大会(左の列右から3番目が私)第50号研修みずのわ(18)講師等OB遠い昔の思い出 (元)栃木県足利市上下水道部 主幹 柏瀬 保夫

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