mizunowa50
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JS研修生7万人達成おめでとうございます。研修生の1人として、下水道マンの端くれとして心からのお祝いと、ここまでご尽力された関係者の皆様に敬意と感謝の意を表します。さて標題の「JS研修と私」についてです。もちろん最初の関わりは、「みずのわ」読者の皆様と同じ研修生としてです。次いで講師、JS研修業務検討委員と度々関わってきました。研修生として、昭和58年1月正月明け早々寒風吹きすさぶ、荒川のほとりにひっそりと佇む研修所で、4週間管きょ設計Ⅰを受講しました。ご存知の諸先輩、ご同輩も数多くいらっしゃると思いますが、当時は、本館とプレハブの食堂、厚生棟、4人室で机4台、2段ベッド2台にテーブル1卓というすばらしく寂びた住環境の下、講義や密度の濃い実習後、毎晩のスキンシップと情報収集でベランダには日本各地の一升瓶の山、週末の都内ディスコ(死語)巡りや西川口探索で朝帰り。西川口駅前のサウナに泊まったタフな同期生らとちょっと学び、よく遊びよく飲んだものです。今でも、測量~設計できるほど鍛えられました。33年以上経ち、私を含め多くの同期が卒業した今でも交流が続いていること、これこそが私にとってJS研修最大の成果といえます。全国の研修生の皆さんも同じ思いをお持ちではないでしょうか。講師については、どうして引き受けちゃったんだろうと今でも首を傾げるんですが、「もうJSは無いよな」と思っていた昭和62年、下水道課長から管きょ設計Ⅰの講師をと指名されました。下水道事業を突っ走っていた時期で、とてもじゃないけど講師引き受けるほど暇じゃないよなって思いながらも、課長命令みたいなもんですから、渋々講師として数年間、その後も管きょ設計Ⅱの講師を数年間お引き受けすることになってしまいました。講師として研修生と向き合った時、教えることの難しさ、自分の力量の無さを、いやってほど味わいました。しかし、「人に教えることほど、勉強になることはない」の言葉どおり、講師を務めたことで多くを学び、自分を成長させる肥やしのひとつになったと思っています。気が付けば、物事「まっいっか」って物事に柔軟な対応方の図れる己がいました。また、時には研修生と杯を傾ける会に声をかけていただき、「フレッシュな出会いっていいもんだな」って楽しい思い出も数多くありました。「ニシャ アイアウ コレヲ グウトナス(誰の言葉か失念しました)」そんな想いです。人事異動で、講師を離れた平成22年の6月頃だったと思います。JSから研修業務検討委員会を設置するので、委員を委嘱したいとのお話をいただきまし活断層地震、そして気候変動による大規模水害と日本のどこにでも起きうる大災害に対して、研修生の皆さんには、それに対してどう立ち向かっていくかを常日頃考えて頂ければと願っております。最後に、日本下水道事業団研修センターの益々のご発展と研修生の皆様のご活躍をお祈り申し上げます。計1コースの現場踏査及び設計図作成実習、積算演習の講師を務めさせていただいております。全国からの若い研修生が真剣に取り組んでいる教室内は熱気で満ちあふれており、毎回、私も緊張感を持って研修生の皆さんと一緒に研修課題に取り組んでおります。東北地方太平洋沖地震後、首都直下地震、南海トラフ地震、JS研修と私 (元)新座市上下水道部長 (現)新座市栄公民館長 土屋 誠第50号研修みずのわ(20)

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