mizunowa50
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今回、寄稿させていただく事になりましたのは、久しぶりに京都へ来られた特任教授の渡邊良彦先生とのほぼ30年ぶりの再会がきっかけです。初めての研修センターで、担当をいただいたのが渡邊先生で、管渠Ⅰと推進工法の2回受講、お世話になりました。先生とは何年か後、京都で一度、お会いしてお酒を酌み交わさせていただきましたが、それ以降、中々お会いする機会に恵まれず、今年の春再会、先生もセンターに引き続き勤めておられ、私自身も、長年お世話になった長岡京市を昨年、定年退職、現職で再就職をいたしましたが、土木の技術屋として一つの区切りがついたところでありました。再会は僅かな時間ではありましたが、思い出話に旧交を温めさせていただきました。長岡京市は、面積19・17km2、人口80,800人、歴史的に幻の都と言われた平城京から平安京への間の10年間(784年~793年)「長岡京」の都があった所であります。京都と大阪の中間にあり、交通の要所として地下水が豊富で、工場が多く立地し発展をしてきた一方、京都へ約10分、大阪へ30分と交通の利便性が高いことから、住宅都市としても人口が急増し発展してまいりました。豊かな自然とコンパクトで住み心地のいい、筍の産地でもあります。市の下水道は、京都府の桂川右岸流域下水道の区域で、昭和49年度から公共下水道事業がスタート、私の初めての研修は昭和56年の管渠Ⅰでありました。当時の研修の事はほとんど覚えておりませんが、渡邊先生と研修を終えてから新宿ゴールデン街に繰り出した事を鮮明に記憶しております。田舎者の私にとっては目の眩むような楽しい?ひと時でありました。その後、二回目が昭和63年の推進工法でした。研修後、推進の現場を監督して薬液注入工法で、家屋が傾くなど失敗も沢山し、苦労をしておりました。その頃、東京の御徒町で薬注による道路陥没事故が発生し、会計検査が薬注一本で来るという噂に青くなり、研修センターで一緒になった方達に、電話をしまくり、色々教えて貰った事などを懐かしく思い出しながら書いております。あれから35年余り、本市の下水道は整備率が99%と、後少しの状況となっています。一方、下水道を取り巻く環境は、我々の小さな市町村まで影響を及ぼして来ております。今、各地で起こる豪雨による自然災害への対応が本市でも大きな課題であり、雨水対策を重点的に取り組んでいるところであります。京都府の桂川右岸流域下水道雨水対策事業「いろは呑竜」の施工が真最中であり、本市も内水対策として降雨強度の見直しに加え、雨水貯留管の整備やポンプ場の整備など、雨水計画の見直しを行っています。又、汚水施設の耐震化や長寿命化を図ると共に、上下水道の一本化を進める為、下水道事業の公営企業会計への法適用に向け、この12月議会で条例改正を提案している最中であります。今日までこのように下水道に関わり、先生とも長年にわたってお付き合いが出来るとは想像もしませんでした。お逢いすると、顔や体型の変化はお互いにありますが、当時にタイムスリップするように、先生の熱意と想いは何も変わられてないことに、懐かしく今でも「頑張れ」と背中を押していただいているように、心強く感じております。私も、第2の人生で僅かでも下水道に携わりながら仕事を続けられる事は、出会いの場が研修センターであったこと、「一期一会」渡邊先生との出会いが今に導いて頂いたものと心から感謝をいたしております。もう少し頑張ってお世話になった皆さんに、お返しが出来ればと思っております。最後になりますが、日本下水道事業団研修センターの益々のご発展と、関係者の皆さんの更なるご活躍を心よりお祈り申し上げます。「研修 みずのわ」第50号発刊、誠におめでとうございます。また、平成28年8月には研修生7万人達成とのこと、重ねてお祝い申し上げます。このような記念号に寄稿できますことは、研修生OBの一人第50号研修みずのわ(6)特集「研修修了生7万人達成を祝って」~あの頃・あの時・今は~発足~1万人日本下水道事業団 研修センターの思い出 京都府長岡京市副市長 佐々谷 明光1万人から2万人JS研修の思い出 大阪府都市整備部下水道室室長 長谷川 明巧

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